a long vacation

この長い余暇を生きぬくためのメモ

留年したかもしれない!!!!!という話

 

留年したかも

 

いや、

 

留年したかも

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

いや、多分留年してないんだけど(笑)←は?←あー追記して突っ込む流れ痛いからやめた方がいいよ、そういう記事ねってなるから、これ書いてる人間の人格が疑われるよ、「「「そういう人」」」と見なされる←浅い(笑)

 

は?

 

解説すると、いま僕がやってるのは「多分留年してないんだけど「留年してる」と信じこんだほうが、実際に留年してたときの心のショックが少ないので留年してると自分に自己暗示をかけている」という、アレです。

 

おれ(一人称変更)の悪いところはかすり傷みたいなストレスを負ってもそれが大怪我に発展してしまうところ。というか、おれのなかではゼロ100だから。つまり「ストレスがないか」「ストレスがあるか」によって仕分けているのであって、そのストレスが友人にちょっと嫌なことを言われたのであろうが、友人が事故に巻き込まれて亡くなったのであろうが、ぜんぜん変わらないと思う。それは嘘でちょっとは変わるが、傷つき度合いで言ったら、いや傷つき度合い?沈み込み度合い?まあとりあえずおれのなかでは「ストレスを負った」という意識だけで、心労がデカくなりがち。

 

脳みそが。不安定なんです。ごめんネ(昭和風謝罪)

 

最近脳みその不安定化を避けるために酒も煙草もコーヒーすらやめているけど、結局夜更かしが全部をダメにしている気がする。なんか、昼間に病むときは「病んでるなあ」という正常な自我があるんですけど、深夜1時を超えたあたりから唐突のドデカ抑うつが自分の頭の先のあたりから「ぬぽっ」と顔を出してくるのがわかる。そうするとぶわーんという感じで脳みそにもやがかかるので、頭が重たくなって病むんですよ、おれの場合は。本当に重たくないけど。でも「ぶわーん」はかなり近い。「ぶわーん」がやってくる。なんかいいね、ホラー小説みたいで(笑)

 

f:id:mnkjpoi:20240301213800j:image

 

ぶわーんとは似ても似つかない、ぼぎわん

 

 

 

 

 

人生ゆるく生きれば🆗

人生の答えを求めてぶ厚い哲学書とかを読んでいると、何かその行為自体に「みんなどうせ死ぬんやからもっと適当に生きてええやろ」という気分になってくる。

 

みんな考えすぎか、もしくは考えなさすぎかもしれない。

考えてないのに、考えたつもりになっていることが多い。悩むことと考えることはちがう。悩まないで、考えなければいけない事柄に、悩んで悩んで、考えたつもりになっている。

あとは考えすぎ。

そういうことだと思う。

感性のあれこれ

最近寒い日が続く。そしておれはやはり体調が悪い。熱はないですが、喉を痛めております。

 

まあそれは大丈夫なのだが、最近「ストーナー」という小説を読んでね、これがよかったので紹介したい。「ストーナー」はアメリカに生まれて死んだ、ストーナーという男の生涯を描いた小説。

 

以下ネタバレになります。嫌な人は飛ばしてね。

 

この小説、不思議で、とくに物語に劇的な起伏がない。ストーナーは冒険をせず、英雄にならず、かといって世間の辛苦を味わうこともない。劇中でかれは時に喜び、時には悲しむが、それも「普通」の喜び、悲しみだ。たとえば人間関係、恋愛、喧嘩など、普通の人間が普通の人間として生きていれば経験するであろう、普通のことで喜び、悲しむ。

でも何か感動する。ひとりの男、たしかに名の通るような大人物ではなく、歴史の澱に沈んでいくようなひとりの男でも、彼なりに喜び、楽しみ、悩み、苦しみ、生きていたんだな、ということに感動できる、そういう小説だった。

 

偉人の伝記はいい。偉人じゃなくてもいい。おれは何らかの形で、ひとの人生に触れたい。自分がひとりじゃないという実感がするからだ。

 

ファシズムにはまりつつある。ヒトラーには惹かれない。ムッソリーニに惹かれる。あと田中角栄も好きだ。こうして見ると、おれの好きなタイプはわかりやすいね。

 

三島由紀夫が「自己嫌悪は非生産的だからやめた」と話しているインタビューをYoutubeで見た。かれはああ話すが、「自己嫌悪」は「自己改造」になり、そのコンプレックスの発露の結果が三島事件である。自己嫌悪はおいそれとやめれるもんではないし、自己嫌悪をやめたところで、うちにあるコンプレックスが消えるわけではない。それどころか、おおむね暴走する。悲しいことだね。

 

 

僕は息を深く吸い込み黙っていた。戦争、血まみれの大規模な長い戦い、それが続いているはずだった。遠い国で、羊の群や、刈り込まれた芝生を押し流す洪水のように、それは決して僕らの村へは届いて来ない筈の戦争。
ところが、それが僕の指と掌をぐしゃぐしゃに叩きつぶしに来る。父が鉈をふるって戦争の血に躰を酔わせながら。そして、急に村は戦争におおいつくされ、その雑踏の中で僕は息もつけない。

 

大江健三郎『飼育』

 

今日もお得意の引用をさせていただく。大江健三郎、すばらしい作家だ。日本の作家のなかでいちばん好きだ。大江はこの『飼育』で芥川賞をとり(当時史上最年少)、一躍文壇の寵児となる。上の文章をもう一度読んでほしい、類まれなる文学的才能を一目で感じさせる文章のなかに、あふれんばかりの若者らしい感性と情熱が見えかくれしているではないか。

 

https://youtu.be/exZ3-cYIz4I?si=XOLZOnbZCpV-es1o

 

今日はフランスのアーティスト、paradisを紹介する。めっちゃいいよ。聞いてみて。

メンヘラを嫌っていたが、じつはおれがいちばんメンヘラだったという話

 

やばい。最近メンタルの調子が非常によろしくない。寝る前にスマートフォンを触るのをやめるべきか?しかし、これはおれの生得的なメンヘラ傾向に由来する気がしてならない。

おれのメンヘラ嫌いって、いままでホストクラブなどなどの経験から来ているものかと思っていたけど、実は同族嫌悪だったんじゃないか?と思えてきた。おれがいちばんメンヘラだから。

 

昨日も「おれ以外の男と喋らないでくれ」と彼女にほのめかし、彼女を困らせてしまった。「浮気しないでくれ」「事故に遭わないでくれ」とおれは彼女に五千回くらい言っている。さすがに鬼電とかはしない。が、やっぱり密やかな嫉妬というものはある。彼女とは位置情報アプリで位置情報を共有しているが、それだけではなんの慰めにもならない。

だって、どうとでもごまかせるじゃないか!

大学にいるからといって浮気していないことにはならないじゃないか!男と会ってるかもしれないだろう!空き教室で・・・(メンヘラ並感)。

 

やっぱりホストなんかやったのが間違いだったんかなあ。ホストの先輩方は浮気してる人ばっかりで、貞操観念バグ女性しか来店しなかったから。

入店初日にキャバ嬢に中絶させた話を聞かされ、おれはあそこで人を信じる力を失ってしまったのだ。悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)(桑田佳祐)。

 

おれは浮気、というか人に裏切られることが、めっちゃ怖いのである。弱い人間だ、井伏さんは悪人です・・・涙

 

話は変わるが、おれは詩句なんかを引用するのが好きだ。おれのようなクセクセの実の能力者の全身価値観屈折人間は、自ら語りたいという衝動と自己嫌悪とにうまく折り合いをつけることができない。そういう場合に、「引用」というのはかなりの力をもつ。

 

うまれし国を恥づること。
古びし恋をなげくこと。
否定をいたくこのむこと。
あまりにわれを知れること。
盃とれば酔ざめの
悲しさをまづ思ふこと。

 

佐藤春夫の「病」という詩だ。ひっそりとした寂しさがある。最後の「盃とれば・・・」の部分なんか、まさに文学者然としているではないか。こういう詩が書けるようになったら人生楽しくなりそうだ。いや、楽しくならないかもしれない。まあそれは書けるようになってから考えよう。何よりもまず睡眠、運動、食事、人間関係。これを徹底して抑うつを脱しよう、そういう風に思った。

 

https://youtu.be/Ax3TTEORxcQ?si=S-zgUXeXuYLrbNU5

 

桑田佳祐「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」。何度もいうが桑田は天才だ!

 

毎日は続く・・・(本当に?)

おれはどうやらTwitterを民意だと思っている節があり、炎上している有名人や、今ホットな話題への民意を調べるためにTwitterをよく使う。これって、たぶんみなさんもそうだよね。

 

作る努力も根気もないが、自分のウェブサイトがほしい。90年代インターネットのようなウェブサイト。キリ番取った人は掲示板へGo‼️

 

最近おじさん構文を練習している。ちょっと皆さんにも見てほしい。

 

これは、本気でやろうとすると結構難しい。おれのおじさん構文(おじいちゃん構文?)は、かなりのレベルになっているのではないかと自負している。

 

当方74歳の爺👴ですが、懐かしい思い出に浸らせて頂きました。😊アップロード♻️有難うござます‼️我が青春の日々‼️🌼

 

この、曲を聞くと🤣遠い昔を、思い出します。?あの頃、二人👩‍❤️‍👨共若かった‼️ナァ〜、。今では、皺くちゃの、、爺ちゃん👴😂婆ちゃん👵😁

 

どう?(威圧)

 

「おじさん構文を練習するおじいさん」になり、こういう趣味で構成された、薔薇色の老後を、送りたいですね。

 

おれはずっと幼い頃に、幼いながらノスタルジーを感じていたような記憶がある。たとえばおれは、家族でドライブしているとき、車から街の景色を見ていて、急に胸が締めつけられるような、不思議な気持ちになることがあった。またおれはそのとき、母親に抱きしめてもらいたかった。幼い頃の、精神の原風景への、甘く切ない慕情や郷愁は、たしかに当時から、しっかりとあった。

 

「さて、これらすべての中で最も直接的に私たちを幸福にしてくれるのは、心根が明るいことである。なにしろ、この良き特性は瞬時に効く。快活な人には、いつも快活でいられる理由があって、それはとりもなおさず本人が快活なためである。

他のいかなる財宝も、この特性にとって代わることはできず、この特性自体、いかなる特性にも代えがたい。若く美しく金持ちで尊敬されている人間がいるとしよう。彼が幸福かどうか判定しようとすると、陽気な人かどうかが問題になるだろう。

これに対して、彼が陽気なら、若かろうが老いていようが、背筋がぴんと伸びていようが、背中が曲がっていようが、貧乏であろうが金持ちであろうが、そんなことはどうでもよい。とにかく彼は幸福なのである。」

 

ショーペンハウアー「幸福について」より

 

ショーペンハウアー、いいことを言う。たしかに、陽気な人がいちばん幸福だ。

 

みんなも、とにかく陽気に生きてみましょう。天理教ではないが「陽気ぐらし」だ。

 

https://youtu.be/PS_Bx7z2WeM?si=cw48FKw8Cj7EodKn

 

今日の一曲。ユーミンはすごい。天才だ。

 

女性の皆さんのための「男=ちんちん」論について

「何で金を盗んだかって。理由はいくらでも言えるが、全部ウソだ。真実は、俺が悪い人間だからだ。でも、変わろうと思う。これが俺のする最後の悪いことだ。これで終わりにして、まともになり、人生を探そう。ずっと探し求めていた、あんたと同じ人生を。仕事、家族、大きなテレビ、食器洗い機、車、CD、電動缶切り、健康、低コレステロール、歯の保険、住宅ローン、遊び用の服、バッグ、スリーピースのスーツ、DIY、クイズ番組、ジャンク・フード、子ども、公園の散歩、9時から5時、ゴルフ、洗車、セーター選び、家庭的なクリスマス、年金、税控除。平和に生きる、寿命を勘定して。」

 

映画「トレインスポッティング」のラストシーン、地元の仲間たちを裏切って金を盗み、逃亡する主人公レントンのセリフ。彼は薬物中毒者で、劇中の彼の暮らす街は賑やかだが閉塞的だ。ところどころに行き詰まりを感じる。レントンの気持ちはよくわかる、誰しも人生をやり直したい。

 

今日は女性の皆さんに、言いたい。男なんてみんなちんちんだ。ちんちんな男とちんちんでない男がいるのではない。まず大前提として、男はみんなちんちんであり、その中にいいちんちんと悪いちんちんがいるだけだ。

われわれ男は恐らく貴女の想像よりずっと、遥かにちんちんだ。

ほとんどの男は毎日オナニーしている。信じられるか?バイト先のいけ好かない先輩も、中学時代お世話になった先生も、家に帰ればスマホやPCでエロサイトを見ながらせこせこ自分のちんちんをしごいている。ほぼ毎日。そうしないとおかしくなるから。

インスタやLINEで急に理由もないのに話しかけてきたり、何度会話を終わらせても話しかけてくるのは、貴女とセックスしたいからだ。もちろん貴女のことが好きだから話しかけてくる男もいるだろうが、われわれはバカなちんちんなので愛情と性欲の区別がつかない。オナニーしてからでないとつかない。だから「好き=セックス」になる。付き合えなくてもやれればOKだ。しかし、やれなくても付き合えればOKというわけにはいかない。ちんちんだから。好きだからこそ、やりたい。

「中々好きな男が手を出してくれない?」その男が貴女に中々手を出さないのは、単にその男に手を出す勇気がないからであり、セックスがしたくないわけではない。むろん紳士もいるが、それは物わかりのいい、社会性のあるちんちんであるだけで、パンツを脱げばしっかりちんちんだ。

みんな貴女とやりたい。機会があれば。ふたりきりになり、個室に連れ込み、チャンスがあれば、セックスしたい。

これが大多数の男の考えていることだ。

 

女性の皆さんには自衛してほしい。いいちんちんとだけ関わってほしい。

 

それともうひとつ、あえて女性に言わなかったことを話すが、ほとんどの男はどんな状況においても興奮できる。

例えば、貴女がものすごく魅力的な女性だとして、かつものすごく理知的だとして、われわれの興味を惹く話をしてくれるとしよう。

そのとき、われわれが主に考えることは「この人賢いな。話面白いな」ではない。

「やりてえな。太ももエロ!」だ。

もちろん、「この人賢いな。話面白いな」と考えないわけではない。そっちもちゃんと考える。ただ、脳みそに占める思考の割合で言うと「やりてえな」が余裕で勝つ。ボロ勝ちだ。おれの友達は親戚のおじさんの葬式で、喪主を務めた、未亡人となってしまったおじさんの奥様の悲嘆にくれる様子がいかにエロかったかということをおれに熱弁した。彼は葬式でも勃起したらしい。男とはそういう生き物だ。

 

いったんわれわれが性的なものについて考え出すと、それ以外のことは基本頭から吹っ飛んでしまう。だから「男性弁護士が痴漢で逮捕」というニュースを見ても、われわれは別に驚かない。強い弱いの差はあれど、われわれはおしなべてそのような衝動を経験しているからだ。

女性の皆さんからしてみれば、痴漢をすることでその弁護士はいままでつみあげてきたキャリアをすべて失うことになるのに、なんで痴漢なんかするんだろう、となるだろう。理解できないだろう。

しかしわれわれには理解できる。バカだからだ。ちんちんだからだ。ちんちんに脳みそを支配されると、他のことが考えられなくなるのだ。

「友達の彼女に手を出しちゃったよ」とかもそうだ。冷静に考えれば友達の彼女に手を出すなんていけないことだと、頭ではわかっている(そういう倫理観が欠落している人間もいるが)、しかし、ちんちんだから。仕方ない。目の前の女のことしか考えられなくなるのだ。

 

仕方ない。われわれだって本当は女性と建設的な話がしたいが、どうしてもちんちんが勃起してしまう。本当に生まれたときからわれわれはそうなのだ。しかし生きていく上ではそれではダメだから、家で毎日オナニーして、我慢しているわけだ。

 

 

 

病んだときはとりあえず目を閉じて深呼吸

病んだときはとりあえず目を閉じて深呼吸。

 

病んだときはとりあえず目を閉じて深呼吸。

 

だんだんつらくなくなってきた。

 

私は自分の機嫌を自分でとります。

 

私は自分の機嫌を自分でとります。

 

私は自分の機嫌を自分でとります。

 

つらいです。でも、そうします。

 

悩むときは自分だけで悩もう、もう。

 

闇雲に毎日が怖いよーーーーー!!!!!

 

 

Q.なんで怖いの?

 

A.自分がジジイになったときに病んでいないビジョンが見えないから

 

大人って常に何かに疲れている気がする。おれがなんで大人になりたいのかと言ったら、くたびれて、何事にも期待しないようになりたいから。全ての不安は期待から生まれるという持論があります。

 

ただ生きているだけでいいと思う。とりあえず、自分にできることを粛々とやっていけば、それでいい。とにかくそういう気がする。

 

見渡す限り田んぼばがりの田舎に行って、やっと大きな建物が見えたと思ったら、それがパチンコ屋だったときの、あの感情。

 

いとしのエリー」は、桑田佳祐はすごい。当たり前だが、おれには「泣かしたこともある」から詞を始める才能はない。あまりにも天才だ。「エリー」との、長年苦楽を共にし、激しい感情をぶつけ合うほど親密な関係性を、「泣かしたこともある」で表現する。おれにはできない。

 

あきらめが早いのは悪いことか?

 

彼女が多分コロナなんだけど、昨日デートした。まあそれはいい。移ってたら、それはそれで嬉しいし。

 

https://youtu.be/E60MqS1WTao?si=Nk2c_KPT3SnZnUgx

 

今日の一曲は、サザンオールスターズで「お願いD.J.」。桑田佳祐の話を出したので・・・。