a long vacation

この長い余暇を生きぬくためのメモ

感性のあれこれ

最近寒い日が続く。そしておれはやはり体調が悪い。熱はないですが、喉を痛めております。

 

まあそれは大丈夫なのだが、最近「ストーナー」という小説を読んでね、これがよかったので紹介したい。「ストーナー」はアメリカに生まれて死んだ、ストーナーという男の生涯を描いた小説。

 

以下ネタバレになります。嫌な人は飛ばしてね。

 

この小説、不思議で、とくに物語に劇的な起伏がない。ストーナーは冒険をせず、英雄にならず、かといって世間の辛苦を味わうこともない。劇中でかれは時に喜び、時には悲しむが、それも「普通」の喜び、悲しみだ。たとえば人間関係、恋愛、喧嘩など、普通の人間が普通の人間として生きていれば経験するであろう、普通のことで喜び、悲しむ。

でも何か感動する。ひとりの男、たしかに名の通るような大人物ではなく、歴史の澱に沈んでいくようなひとりの男でも、彼なりに喜び、楽しみ、悩み、苦しみ、生きていたんだな、ということに感動できる、そういう小説だった。

 

偉人の伝記はいい。偉人じゃなくてもいい。おれは何らかの形で、ひとの人生に触れたい。自分がひとりじゃないという実感がするからだ。

 

ファシズムにはまりつつある。ヒトラーには惹かれない。ムッソリーニに惹かれる。あと田中角栄も好きだ。こうして見ると、おれの好きなタイプはわかりやすいね。

 

三島由紀夫が「自己嫌悪は非生産的だからやめた」と話しているインタビューをYoutubeで見た。かれはああ話すが、「自己嫌悪」は「自己改造」になり、そのコンプレックスの発露の結果が三島事件である。自己嫌悪はおいそれとやめれるもんではないし、自己嫌悪をやめたところで、うちにあるコンプレックスが消えるわけではない。それどころか、おおむね暴走する。悲しいことだね。

 

 

僕は息を深く吸い込み黙っていた。戦争、血まみれの大規模な長い戦い、それが続いているはずだった。遠い国で、羊の群や、刈り込まれた芝生を押し流す洪水のように、それは決して僕らの村へは届いて来ない筈の戦争。
ところが、それが僕の指と掌をぐしゃぐしゃに叩きつぶしに来る。父が鉈をふるって戦争の血に躰を酔わせながら。そして、急に村は戦争におおいつくされ、その雑踏の中で僕は息もつけない。

 

大江健三郎『飼育』

 

今日もお得意の引用をさせていただく。大江健三郎、すばらしい作家だ。日本の作家のなかでいちばん好きだ。大江はこの『飼育』で芥川賞をとり(当時史上最年少)、一躍文壇の寵児となる。上の文章をもう一度読んでほしい、類まれなる文学的才能を一目で感じさせる文章のなかに、あふれんばかりの若者らしい感性と情熱が見えかくれしているではないか。

 

https://youtu.be/exZ3-cYIz4I?si=XOLZOnbZCpV-es1o

 

今日はフランスのアーティスト、paradisを紹介する。めっちゃいいよ。聞いてみて。