a long vacation

この長い余暇を生きぬくためのメモ

悪者!

 

『なんにも書くな。なんにも読むな。なんにも思うな。ただ、生きて在れ!』

 

太宰治「めくら草紙」

 

すごい。天才だ。であるがゆえに、もう読みたくない。太宰を読むとあまりにも苦しくなりすぎる。感受性が(負の側面において)豊かな人間が、小説家になると、こうなる。文体は作家性を規定する。太宰は人を抑うつに直面させる、悪い。悪者だ。

 

おれは悪口ばかり言う人が嫌いだ。「悪口」の存在を意識することによって、おれは、おれが普段意識しないであろうおれに向けて言われているかもしれない悪口のことも意識せざるをえない。そうすると悲しくなる。だから本当の本当は「嫌い」という言葉も使いたくないのである。

 

早く大人になりたい。早く。大人になるためには孤独な夜の過ごし方を覚えなければならない。つらい。が、人生とは元々、とげとげしくつらいものだ。子供時代は世界認識が甘かったからわからなかったが、大人になるにつれてしだいにわかってきた。みんなそうだ。みんな楽しいことよりつらいことの方が多い。それは「あたりまえ」。

この文章を読んでくれている人たちのために、そして何よりおれ自身のために、おれはこの文章がつらく悲しい感じで終わることを望まない。

だからここに言っておく。おれはもう大人になろう。おれはおれ自身の抑うつで他の人がつらい思いをするのは嫌だ。

だからおれはひとりでこのたまらない抑うつを処理し、抑えこみ、さめざめ泣き、そして眠りにつく。ただ自分だけを慰めとし、適当な文章を書いて眠れないつらい夜をやり過ごそうと思う。ちょうどこんなふうに、ここでこうしていままで書いてきたように。

 

信じていた人に裏切られ、恋人に浮気され、友達にいいように利用される、そういう想像が止まらない夜だ。「人には期待しない方が無難」なのかもしれない。でも、人に期待しないと、人生楽しくないよ。「感受性が豊か」なんて、19のいま、もう欠点でしかないけど。

真ん中にいると時間がもったいない。子供のままでいるか、大人になるか、おれは選ばないといけない。おれは、そうであれば、大人になりたい。

 

ここまで書いて、「感受性が豊か」って、本当にそうなのか?という気がしてきた。おれはただ単に臆病なのではないか?おれは喜ぶときに、本当に心の底から喜んだことがあったか?悲しみにだけ過敏になっていたのではないか?いつも目の前の喜びをなおざりに、いつかやってくるかもしれない不安だけに目を向けていたのではないか?もうわからない。

こういう思考の方向も、おれの自分を責めたがる癖に起因しているのかもしれない。考えたって無駄だ。早く寝たい、だが寝ることができない。最悪の気分だ。しかし、これが時間とともに落ち着くものであることを、おれは知っている。おれにとって抑うつは、幸か不幸か、一過性のものだ。しかしそれがさらに不安を煽るので、人生においておれは落ち込むことが多い。早くおれを寝かせてくれ!何も考えたくない!何も考えたくない!何も考えたくない!何も考えたくない!