a long vacation

この長い余暇を生きぬくためのメモ

長文と抑うつ

短文で思っていることを書きつらねるTwitter的スタイルでは、文章的にはまとまりがあるように思えるが、自分の感情的なざわめきはなかなか収まることがないので、結局自分の好きなことを好きなだけ書けるブログに帰着する。

 

いまの若い子は長文が書けないという論説をどこかで読んだことがあるが、コミュニケーションの省エネの結果なんじゃないかと思う。

省エネの時代、人生の省エネは自殺に行きつく。

 

おれの悪い癖としては、人の嫌な部分が見えすぎる、というか、人の嫌な部分を見てしまい、神経過敏にすぐに陥る。意図して見ようとしているきらいはないが、ついつい目に入るような感じだ。ただ、自分の形質としてこれを受け入れていくしかない。これから生きていく上で、人間は多面的な存在なんだという自覚が、自分には必要なんだろうと漠然と考える。が、具体性はない。

あるいは考えすぎかもしれない。

 

考えても何にもならないことは、考えないほうがいい。自分の抑うつ傾向についての向き合い方の変遷を考えてみると、もっと幼いころは、たとえば中学生くらいのころは、この抑うつ傾向に関して「自分の頭が悪いから、解決策を考えないからくよくよ悩むんだ。考えれば解決策は見つかるはずだ」と思っていた。それでぐるぐる考えて、落ち込み、そのうちに時間とともに気持ちが回復する、そういう感じだった。

高校生のときは「考えても何にもならない。行動をすべきだ」というふうに、少し向き合い方が進歩した。そうして運動をしたり、意識的に睡眠をたくさんとったりしたが、やっぱり病むときは病む。人間そんなものだ。

成長するにつれ分かってきたことがある。考えても何にもならないことは、考えないほうがいいということだ。それは、対処法について、行動についても、必要以上に思いをめぐらすことはしないほうがいい、ということを意味する。

 

賢い人もみんな自殺している!

 

https://youtu.be/7fcSSiNJUuM?si=S6grgRWDFOI1DoMv

 

いい曲。